ぼくは大学進学で東京に上京して現在にいたりますが、高校卒業までは実家の福岡で過ごしてきました。
中学・高校の時にハマっていたのが「3P」です。なんというか、当時は若かったというか、もうね、めちゃくちゃハマっていましたよね。
ずっと「3P」のこと考えてた。
「3P」の
正式な名称は「中島浩二アワー THE 3P」。
もう20年以上前の話なんで、記憶違いや勘違いなんかも多いかも。ご容赦くださいね。
ぼくが中学・高校当時、KBCラジオ(九州朝日放送)で放送されていたラジオ番組です。
放送時間が平日21:00〜24:30の帯。毎晩、3時間半、学校の宿題や授業の予習・復習をしながら聴いていました。
通ってた高校が「朝課外」、という1限目の前に1時間の授業、いわば0時限目の授業が強制執行されるような厳しい高校だったので、予習とかしとかないと、まったくついていけなかったんですよね。
さて、そんなハマってたくせに番組名の番組名の「3P」の由来は全く覚えていなくてすみません。
前身の番組のパーソナリティが3人で、3人のパーソナリティ?だかだったような気もするけど忘れました。
番組のメインパーソナリティは「ナカジー」こと「中島浩二(なかじまこうじ)」さん。
現在も九州のラジオ・テレビ番組などで活躍されている方です。当時、ラジオから流れる声が「めっちゃカッコ良い声やなあ」という印象でした。
メインのパーソナリティ以外では、オーディションを勝ち抜いた女子大生?世代のオネーサン達が日替わりで「3Pギャル」としてアシスタントを務めていました。
日本武道館でコンサートやっちゃうような有名声優の「田村ゆかり」さんもなんと「3Pギャル」出身だったりして。
私、3P大好きだったものー(*´∀`) ラジオ聞くのも好きだったけどね。だから3Pギャルになれた時めっちゃ嬉しかった RT @NishiJimao というか曜日違うのにあのコーナーを聴いていたということは相当ラジオ好きだったのですね!覚えていただいて大変嬉しいです!!
— 田村ゆかり (@yukari_tamura) December 21, 2015
今も九州でタレントとして活躍されている「斉藤ふみ」さんも「3Pギャル」出身ですね。
斉藤ふみさんも「FM FUKUOKA」の動画あったので貼り付けときます。当時と変わりない声!
そういえば、年末に太宰府天満宮の「鬼すべ堂」で開催される夜通しの年越し公開放送「オールナイト3P」にも2回参加して、ナカジーやスタッフのみなさんに会えたのも懐かしい思い出。
いつかの「オールナイト3P」では、福山雅治さんの「明日へのマーチ」を会場で大合唱したような。「3Pギャル」のみなさんやナカジーにもらったサインが実家に残ってるはずなんだけど、捨てられていないかな。ハガキ採用でも、「番組表」やサインもらったっけな。
「3P」の内容
3時間半の番組は、ネタハガキのコーナーやロケで録音した企画コーナーなどが中心。
「ナカジー」と番組スタッフがいろんな高校にやってきて、放課後の生徒にアポなしインタビューする「放課後チャンス」というコーナーは、本当にアポなし。同じ学校のリスナー仲間が「駐車場に、ナカジーきてるぞ!!!」という情報を教えてくれて、走ってインタビュー受けに行ったもんです。わーわーいうてただけですけどね。
一対一でリスナー同士がクイズ対決をするコーナーにも応募したら連絡が来て、出場しました。コーナー名忘れた。
緊張して、クイズには負けてしまいました。問題は忘れたけど、ぼくが最後に「貴ノ花!!」って間違えた回答をして相手にポイントがついて負けちゃったのは覚えてる。参加賞に、九州の人にはお馴染みの食品メーカー「マルタイ」のカップラーメンが1ケース、自宅に届きました。
マルタイの棒ラーメン、超有名??だと思ってます。
また、ぼくがハガキ職人?に目覚めたのもこの番組。当時はメールというテクノロジーはないからハガキ、ハガキ、ハガキ。
毎月のお小遣いに加え、お昼ごはんのために親にもらったお金を節約した中から1枚50円のハガキ代を捻出して、各コーナーにネタを出しまくる訳です。
そして、どうしてこうなったかわからない、ぼくのラジオネームは「地獄のアリ地獄」。
まさに黒歴史というか「地獄」なんですが、はじめて「次のハガキは、ラジオネーム地獄のアリ地獄・・・」とナカジーの声で聞こえてきた時は地獄じゃなく天国。
翌朝、興奮してリスナー仲間のスギモト、ホリカワくんに「昨日、きいとった!!??」と朝から盛り上がりました。
ハガキは数を出してたせいかそこそこ採用されて、ときどきなんか賞もらったりして、やっぱり「マルタイ」のカップラーメンが自宅に届きました。マルタイ大賞、とか賞もらった気がする。
さらにハマっていたコーナーが
「タコ天」。
3P放送当時、よりちょっと前に流行ったんでしたっけね、イカ天。
かつて「三宅裕司のいかすバンド天国」、通称「イカ天」という有名バンドを数多く輩出したテレビ番組があったんですが、その「イカ天」になぞらえたコーナー名、「タコ天」。
これはリスナーが「替え歌」やオリジナルソングを自分でカセットテープに吹き込んで、番組に投稿。
リスナーの投票(および番組側の独断と偏見?)によって、1位から10位までランキングされ、ベスト10形式でその音源を流していく、というコーナーでした。
「3P」のなかで、何気にこのコーナーに一番ハマったかもしれない。
中三の時にフォークギターをひっさげ、友達と組んだ「タコ天」用のユニットが「フォーカーズ」。サザエさんの替え歌で「磯野さん」を投稿したのが初投稿、しかも初採用。たしか下位のほうだけど、2週間だけランクインしました。
雑音混じりのラジオから、自分たちの歌声が聴こえてきた時には震えたよね。ひどい歌声だったけど。
これを皮切りに「ソロ活動」と称して、自分一人で録音して応募したり、新しく高校で知り合ったリスナー仲間と録音して投稿したりしてました。
「推量の助動詞『む』」
同級生のホリカワくんと組んだユニットです。
モーツァルトのトルコ行進曲にのせて歌った「Have to hurry up!」
「いそがなきゃ いそがなきゃ 早く売店に急がなきゃ お気に入りのパンが売り切れちゃう」
と歌った「急がなきゃいけないあるある」がラジオの電波で2週流れました。
「何かがチラリ」
スピッツの「涙がキラリ」にのせて、階段を歩いている女子高生を見上げたイメージで
「いちごパンツがチラリ せつなさにキュッとなる」
と高校生男子全開でうたったりとかしてました。こんなひどすぎる歌詞でも4週くらいランクインしてた気がします。
いや、ほんとわれながら、ひどいなあ。思い返すと何周かまわって逆にいいんですけど。
「DTM」への対抗手段
この「タコ天」に投稿されていた作品に「DTM」、いわゆるコンピューターで曲を作ってくるようなハイテクな人が現れてレベル高い作品がどんどん出てきたんですよね。
当時、パソコンなんて持ってないですし、親に勝手とも言えなかったですよ。目的が目的ですし。
だったら、とあるものでなんとかしようとしたのがスーパーファミコンの「マリオペイント」。
マリオペイントは絵を描けるだけじゃなくて、作曲ツールがついてたんですよ。
音符をなんとなく並べてオリジナル曲を作って、それに載せてオリジナルソングをうたって応募。これはなんか1週もランクインしなかった。でも作ってる時はめちゃくちゃ楽しかった!
「マリオペイント」の作曲がなんだか物足りなくなってきたので、お小遣いを貯めて購入したのが、やはりスーパーファミコンの「音楽ツクール かなでーる」。
これはマリオペイントよりも本格的な作曲ができるソフトで、音楽知識ないくせにいろんな楽器のパートをつくって、楽曲作成。歌詞書いて、歌って。
それをカセットテープに録音。
それをラジカセで再生しながら、ハモリパートの歌入れして、もう一台のラジカセを用意して多重録音して。
みたいな。なんかあれこれ考えて工夫してやってたんですね。
最終的に、テクノ調なんだけど「むかーしむかしあるところにじさまとばさまがおりまして」と歌い出すなにがなんだかわからない
曲が出来て、本人は満足してたんだけど、結果は1週でランキングから消えるという。
基本的に自宅の2F、自分の部屋で録音してたので、下の階でご飯作ってたばあちゃんから
「何おらびようとー、せからしかー!」(なにやってんだ!うるさい)
って何度となく怒られました。
あと、なんだろうなー。
ちょっとピンクな「ビーチク・バーチク」コーナーの翌日とか、毎回スギモトくんともりあがってたなー。
うわー、思い出せば出すほど、懐かしい。
ということで
「中島浩二アワーTHE 3P」のおかげで、ハガキ書いて、家で録音して送って、ラジオ聴いて、な中学・高校生活でした。ほんとは
「3P」だけじゃなくて、途中から「ダブルバスターズ」っていう番組名に変わったんですけどね、かわらずナカジーの声を聴いて過ごしていました。
今でもラジオが好きで、TBSラジオのJUNKはじめ、いろんな番組を聴いていますが、初めてハマったラジオは「3P」でした。
3P、そしてナカジーありがとう!
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